みりとの奇跡 ~ One in a million ~


小さな体で慢性腎不全・甲状腺機能亢進症と懸命に闘うみり(1989.7.1生まれ♀21歳)と、無知な飼い主ふたりの看護日記。
by miri-mama
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みり履歴書

1989年7月1日 埼玉県浦和市生まれ
同年10月 生後3ヵ月 んがぁの子供になる
同年12月 生後5ヵ月 避妊手術

1992年7月 3歳の時、一度目の引越し(大好きな階段の無い家になってしまった)

1994年4月2日 4歳9ヵ月と1日 ぴゃんと結婚。ぴゃんの名字になる。
(表向きは、んがぁとぴゃんが結婚した事になっている)

1996年 7歳の時、二度目の引越し(また階段の無い家)

1999年7月1日 10歳

2003年夏 14歳の時、変形性骨関節症(!?)の疑い

2004年7月1日 15歳

2005年7月1日 16歳
同年11月16日 4本抜歯&口腔内悪性腫瘍の疑い

2006年7月1日 17歳

2007年4月1日 三度目の引越し(やっと階段がある家に)
同年6月28日 前庭障害発症
同年7月1日 18歳
同年12月9日 膀胱炎&自律神経失調症の疑い

2008年2月12日 前庭障害再発
同年3月7日 甲状腺機能亢進症&慢性腎不全発覚
同年7月1日 19歳
同年11月22日 3本抜歯

2009年7月1日 20歳
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by miri-mama | 2009-09-08 21:50 | みり履歴書

みり履歴書~出会い編~1989年

1989年10月

当時恋人同士だった『んがぁ』(社会人1年生♀)と『ぴゃん』(大学3年生♂)
私(んがぁ)の会社は私以外全員猫を飼っていて、毎日カワイイ猫の話を聞かされ、
カワイイ写真を見せられ、私はどうしても猫を飼いたくなってしまった。
ぴゃんに相談すると
『動物病院なら、そこで生まれた猫ちゃんの里親探しをしてるかもよ』
と言うので、二人で電話帳見ながら近くの動物病院を探す。
当時は車も無く、自転車だったので、自転車で行ける距離の動物病院を探して、
とりあえず電話をかけてみる。
1軒目で『子猫ちゃんいますよ~。見に来て下さい。』と言われ、早速見に行くと、
そこにはケージに入れられてプルプル怯えてる三毛(♀)と白黒(♂)の2匹の猫ちゃんが。
飼うなら女の子と決めていたので、三毛の子に決定。

※ぴゃんの数少ないナイス(←古っ)な発言のおかげでみりに出会えた訳で、
今でもそれはぴゃんの自慢。

家族と引き離され、知らない姉ちゃん兄ちゃんに狭いアパートに連れて来られたみり。
恐怖のあまりこたつ布団の上に座ったまま身動き出来ず、
記念すべき第一回目のちっちは、長時間我慢したあげく、
そのままこたつ布団にシャー。
『ちっちはこっちにしなきゃダメ!』って初めてのメッ。
その日は、その後も怯え続け、威嚇し続ける。
かなり不安なまま姉ちゃん兄ちゃん就寝。
夜中になって、教えられた場所にちゃんと2回目のちっちをして、
寝てる姉ちゃんにベッドの下からチョンチョン‥『みゃ‥みゃ‥』
『ちゃんとちっちしたよ。ほめてほめて』と知らせに来た。
その瞬間、どひゃ~~~っと愛情が湧いて来た。

※今思うと…
子猫をもらうと決めてから、トイレや餌の準備をいつしたのか…思い出せない。
でも、みりを連れて家に帰った直後からトイレの場所を一生懸命教えた記憶がある。
(みりをもらいに行く前に買って置いたのか、
みりを連れて帰る時に買って帰ったのか…??…謎)

しかし、2日目からが大変だった。
実は、みりは超~おてんば、何にでも興味津々、逃げ足も早い、気が強い、
家の中隅々探検しないと気が済まない…そんな性格だった。
こんなちっちゃいのが一匹いるだけで、どうしてこんなに
ドッタンバッタンうるさいんだろうか??と思う程。
2日目の夜は、人間が寝静まったのを確認して、更に派手な大冒険をおっぱじめた。
家の中に生き物がいる生活をした事がなかった為、
自分が立てる物音以外の音には物凄く敏感になっていて、
みりの立てる物音にいちいち『泥棒!?』とビックリして起きてしまい、全然眠れず…
仕方なくみりを捕まえて、私とぴゃんの間に挟んで、腕枕で寝かしつける。
最初は抜け出そうとしてもがいていたけど、ここで寝んねするの!って
押さえながらヨシヨシしてたら、そのうちおとなしく眠った。

私とぴゃんの間に無理矢理寝かした事で、
寝る時は二人の間に寝なきゃいけないんだと覚えたみりは、
3日目の夜は自分から二人の間に潜り込んでグルグルいって眠った。
またまた愛情がどばぁ~~~っと湧いて来た。

それ以来、ぴゃんがいる時は二人の間で、必ず私の腕枕で寝るようになった。

※何年か経って猫のいる生活にも慣れて来ると、みりがお留守番の間ひとりぼっちでかわいそうだなぁ~と思う時もあり、あの時みりと一緒にいたみりのお兄ちゃん??弟??の白黒ちゃんも、一緒にもらって来てあげたらよかったなぁ…って思う事も。
実際は、やんちゃなみり1人育てるだけで私はいっぱいいっぱいだったから、無理な話なんだけど‥
あの白黒ちゃん、幸せに長生きしてくれてたらいいな~と今でも思う。
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by miri-mama | 2009-09-08 21:42 | みり履歴書

みり履歴書~みり、大型犬の疑い編~2003年

2003年夏(みり14歳)

ある日曜日の夜8時頃、押し入れからトンッと降りた後、
片方の後ろ脚を床に付かず、びっこを引いて歩いている。
(※配慮に欠ける表現かもしれませんが、猫の事ですのでご容赦下さい。)
しばらく様子を見ていても、痛そうにびっこを引いたまま。
捻挫か!?…骨折か!?…とにかく大変!!!!と大慌てで夜間診療してくれる病院を探す。
家から30分ぐらいの所にある病院に連絡が付いて、すぐに連れて行く。
※その後2007年までこの病院に通う事になる

レントゲンを撮ってもらい、待合室で待ってる間もドキドキ‥
何が原因だろう‥と家での出来事をぐるぐる思い返す。
私が蚊に刺されてムヒを塗って‥そのムヒの匂いをみりがクンクンして‥
押入れ行って、トンッて飛び降りて‥その後びっこ引き始めて‥
え!?・・・もしかして、ムヒ!?・・・ムヒ嗅いだから!?
‥ムヒって猫が嗅いじゃいけない成分が入ってるのかもーーーーーー!!
一緒に来ているぴゃんに『ムヒ嗅いだからかも!!』と言うと、
『そうかも!!それが原因かも!!』と。『それちゃんと先生に言わないとね!!』と合意。
※ふたりともパニクってたとは言え、バカにも程がある。

診察室に呼ばれて、院長先生が開口一番、

『太ってた事はありますか?』と。

『へ!?・・ムヒ・・あ・・・えーっと‥今よりは少し太ってましたけど‥』と言うと、

変形性骨関節症(だったと思う)とかいう大型犬がかかる骨の病気の兆候がある
と言われ、犬の本を見ながらその病気の説明をされる。

大型犬…!?!?

太ってたと言っても、最高に太ってた時で4.6kg。
10kg超えの猫ちゃんだっているのに、太ってたうちに入るんだろうか・・・
なんでも、体重が重いとだんだんと軟骨が減り、その状態でまた重い体重を支えようとすると、関節部分から小さい歯のような骨が生えて来ると。
そして、その歯のような骨が大きくなってくると、関節を少し曲げただけでも骨がぶつかり合うようになり、かなり痛みが出てくると。
みりの足の関節と尻尾の付け根の骨に、その歯のような小さい骨らしきものが写っているとの事。
※結局、先生に『ムヒ嗅いだんですけど‥それは関係ないですか?』と真剣に聞いてみたバカふたり。『(ぷっ‥)それはあり得ませんね』と鼻で笑われる。

少し炎症が起きてる可能性もあるので、痛みが治まるまでは安静にして、その後も高い所から飛び降りたり出来ないよう階段のようなものを作った方がいいと言われ、消炎剤と軟骨を増やすサプリメントを出してもらう。


・・・骨から歯!?

・・・大型犬!?

・・・は!?

‥と、かなり混乱して、何をしたらいいんだかしばらく思い付かなかった。

ずっと黙り込んで明らかに不機嫌なぴゃんは、帰りの車でいきなり、

『太ってた太ってたってさ~、みりの事を元デブみたいに言ってさ~、
でもそんなに太ってたわけじゃないじゃん!!!!何なの一体!!!!』

とぶりぶり怒り出す。

そこ?
不機嫌の原因は、そこ?

先生が『太ってた』という言葉を連発したのがかなり気に入らなかったらしい。
ぴゃんにしてみたら、初めて会った人に僕のかわいいかわいいみりちゃんをけなされたような気分だったんだろうけど、でも、そこ怒っても仕方ないよね。
他の猫ちゃんに比べてデブって事じゃなくて、骨の太さに対して体重が重かったって事でしょきっと。

とりあえずすぐに安静に出来るように、病院からドンキホーテに直行して、かなり大きめのケージを買い、帰ってすぐ組み立てて、ごはんと、水と、ベッドと、トイレと、みりを入れる。
よし、今度は高い所から飛び降りる事が出来ないように、いろんな所に階段を作ろう!‥と段ボールを探したりしていると、みりが大絶叫し始める。
『どうしてこんなところにいれるのーーーーー!!やだやだやだやだやだーーー!!!!!!
だして!!だして!!だしてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!』
と大暴れ。
『今日からしばらくはここで寝んねだよ、我慢してね』ってなだめても一向に聞かず、
狂ったように絶叫&大暴れ。

くれぐれも安静にって言われたのに・・・
余りの騒ぎよう暴れようにぴゃんと私はしばし唖然・・・

このままでは足の炎症が更に悪化するーーーーー!!‥と、大急ぎでいろんな所に階段を作り、みりを落ち着かせる為ケージから出す。

するとみりは何事も無かったかのようにスタスタ歩いて行き‥


・・・え??・・・ちょっと待て!!


・・・スタスタ????


・・・びっこは??


・・・え??・・・もう足痛くないの??????


また二人で放心状態。
ケージに入れられないように、我慢して普通に歩いてる‥?
‥え?‥治った‥!?
‥え?‥何!?何!?

しばらく様子見ても、至って普通。
なんなら、ちょっとはしゃいで走り回っちゃったりもしている・・・
消炎剤まだ飲んでないよね?

普通に歩けるならそれはそれでいいんだけどさ‥


この立派なケージは、どうすんの?


立派なケージ使用時間‥5分‥

その後、みりは一度もびっこを引かなかった。
私達が作った階段無視して、押入れの高い所から飛び降りたとしても。

ほんとに必要なのかどうかわからないまま、軟骨を増やすサプリメントは1週間ぐらい飲ませてみた。
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by miri-mama | 2009-09-08 21:41 | みり履歴書

みり履歴書~抜歯&口腔内悪性腫瘍の疑い編~2005年

2005年(みり16歳)

食後に歯が痛い仕草をし始める。

9月頃になると口臭・体臭もするようになり、右目から涙も出るようになった。
病院に連れて行こうと言うと、ぴゃんは

『もう歳なんだよ…病院はかわいそうだから連れて行かない』と。

ぴゃんは基本的に『病院はかわいそう主義』。
説得するのは大変。
※ぴゃんが何と言おうと、すぐ病院に連れて行くべきだった。
みりはもう16歳になっていたのだから、3ヵ月に1度ぐらいは定期的に検査をしていてもよかったのに‥

(今となっては言い訳にしかならないが、この頃私は仕事が激務で、毎日家に帰る事が出来ず、事務所に泊まり込む事が多くて、みりにもなかなか会えない生活だった。実質ぴゃんとみりの二人暮らし状態で、私がみりの様子を観察出来るのは週に1日程度。私のこの状態が、みりの体を蝕む結果になったのだと思うと、悔やんでも悔やみきれない。)

11月に入ると、右目の涙が赤くなってきて、左目からも涙が出るようになってきた。
顔の右側も何となく腫れてるように感じる。
やっぱりおかしいと思って口の中を見てみると、右上の歯にボコッとデカイ塊が引っ付いている。
指で取ろうとしても取れない。
もう病院行かないとダメだよ!と、急いで病院に連れて行って検査してもらうと、歯石が大きくなっていて、その炎症のせいか、歯茎の中に膿のような塊があって、歯を支えている骨の一部まで侵食されているとの事。
もしかしたらその膿のような物は悪性の腫瘍(癌)で、その腫瘍が先に出来たのが原因で膿が出来、それが流れ出て歯石になったのかもしれないと。
歯石が先か、腫瘍が先かわからないが、とにかく緊急手術で歯石除去と抜歯をし、膿の病理検査をしたほうがいいという事になった。
年齢的にも麻酔は危険で、麻酔から覚めずそのまま亡くなる可能性もあると‥それでも手術希望する場合は、承諾書にサインをしろと。

頭の中が真っ白になった。
そんな状態になるまで放っておいたなんて‥
痛くて痛くて、それでもがんばってごはん食べてたみりの事を思ったら、涙が滝の様に流れて来た。
私がいけなかったんだ!
仕事なんてどうだっていいのに!
言葉を話せないみりが、もう何ヵ月も痛い痛いってアピールしてたのに!
私もぴゃんも世界一のバカだ!
もぉ!バカァァァァァァァ!

私『麻酔から覚めずに死んじゃってもいいなんていう承諾書にはサイン出来ませんけど、とにかくみりを助けて下さいぃぃぃぃぃ!!!!!!お願いしますぅぅぅぅぅ!!!!!!』

先『サインしていただかないと、麻酔かけれないのでサインして下さい。』

私『できませんーーーーーー!絶対生きて返して下さいぃぃぃぃぃ!』

先『・・・・・サインして下さい』

私『あぁぁぁぁぁぁぁぁ・・絶対生きて返して下さいぃぃぃぃぃ』

・・と、震える手で渋々サインをした。

その後、涙も鼻水も垂れ流しのまま、院長先生から

【口の中に癌が出来た場合の恐ろしさ】

について延々説明を受ける。

11月14日夕方、かぼかぼと一緒に入院。
入院2日目は麻酔に必要な検査。
入院3日目の午後手術。
術後1日は点滴をする為、合計で4日間の入院予定。

毎日病院に電話をして様子を聞くが、みりは眠る事も出来ず、神経が張り詰めているようだった。

手術当日の16日は、朝から仕事でバタバタしていたが、心ここにあらず。
麻酔から覚めなかったらどうしよう‥
このままみりがいなくなっちゃったらどうしよう‥
隙あらば号泣しそうな状態だった。
16時頃手術が終わると聞いていたので、16時ピッタリに電話。

『成功しましたよ。少し麻酔も覚めて来てます。‥みりちゃんの性格からして、これ以上病院にいるのは無理だと思うので、今日これからお迎え来れますか?明日点滴しに連れて来れますか?』

『行きます!行きます!すぐ行きます!明日も連れて行きます!』

夜中まで仕事の予定だったのに、アシスタントに丸投げし、
ついでに明日の仕事も丸投げして、大暴走。

仕事場から病院までは、首都高ぶっ飛ばしても1時間はかかる。

とにかく、麻酔から覚め始めたんだから、大丈夫大丈夫。
自分に言い聞かせながらも、アクセルベタ踏み。

病院に着いて、みりと対面。
まだ完全に麻酔が抜けてないようで、焦点が定まらず、ボーっとしている。
でも私が呼びかけると

『にゃぁ‥にゃぁ‥』

と返事をしてくれた。

手術をしてくれた先生から、入院中のみりの様子や、これからの事を説明される。
膿の病理検査の結果が出るまでは1週間位かかるとの事。

退院直後のみり。麻酔も完全に覚めていない状態で、顔の右側も腫れている。
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結果が出るまでの1週間、泣き暮らした。

どうしてもっと早く気付いてあげなかったんだろう‥
もしも癌だったらどうしよう‥
もしみりがいなくなったら、私はどうなるんだろう‥

みり・・どこにも行かないで・・んがぁを置いて行かないで・・
誰かがお迎えにきても、みりはまだ行きませんて言うんだよ?
ぴゃんとんがぁと一緒にいたいので、どこにも行きませんて断ってね?
絶対どこにも行っちゃダメだよ?

毎日毎日同じ事を繰り返し繰り返し言い続けた。

《昔の人は、悪い所に手をかざし病気を治そうとしたことから、「手当て」という言葉が生まれた》と聞いた事があった。
何もしてあげられない自分が本当に情けなくて、この際迷信でも嘘でも何でもいい!!‥と、みりの顔に自分の右手をかざし、泣きながら治れ治れとおまじないをする毎日。

その1週間は、とてつもなく時間の流れが遅く、地獄の苦しみを味わった。

やっと結果が出たと先生からの電話。
体はこわばり、毛穴全開で結果を聞く。

『みりちゃんの膿は悪性腫瘍ではなく、ただの炎症性の膿でしたよ』

自分が地球に埋まるんじゃないかと思う程、全身の力が一瞬で抜けた。
何と答えて電話を切ったのか、全く覚えていない。

気がつくと、滝のように涙を流し、みりを御神輿のように何度も何度も担ぎ上げながら、奇声をあげて家中を走り回っていた。
みりはとても迷惑そうに、そして可哀相な物を見る目で私を見ていた。


その後、みりは食後に痛そうなしぐさもしなくなり、口臭も体臭もなくなった。
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by miri-mama | 2009-09-08 21:40 | みり履歴書

みり履歴書~前庭障害編~2007年

2007年6月28日(みり17歳)

たまたまぴゃんと仕事の終わり時間が一緒になり、途中で合流し、外食して21時ごろ帰宅。
ぴゃんが先に家に入り、私は畑の見回りに直行。

しばらくすると、ぴゃんが大慌てで畑に飛んで来て、
「大変!! みりがおかしい!! 早く来て!!!!」・・・と。

慌てて2階に見に行くと、みりはいつも寝ているベッドに横たわり、手足をバタつかせ、頭をブルンブルン大きく振り回し、「ぎゃおー!! ぎゃおー!!」と悲鳴のような鳴き声で鳴いている。


えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!

どうしたのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!

ぴゃんが「目!目!目! 目ぇ見て!!!!」と言うので、顔を近付けて見てみると、
黒目がもの凄いスピードで左右に動いている。

いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!

なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!

どうしてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!


・・・・・


いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!





見た事もないみりの様子に、私がパニックになってしまい、しばらく叫び続けた。

どっかから落ちたの!?

どっかぶつけたの!?

なに!?

なに!?

なに!?

とにかく落ち着いて!
病院に電話しなきゃ!
転居してから、まだ約3ヵ月。
近くで病院探さなきゃと思っていたのにまだ探してなくて、とりあえず転居前に通っていた病院に電話をした。
時間外だった為、留守番電話に早口で状況を吹き込む。

意外とすぐに院長先生から折り返しの電話をもらって、状況を説明。
今すぐ連れて来て下さいとの事。

私がみりを抱っこし、ぴゃんの運転で病院へ。
病院までは車で40分ぐらいかかる。
みりは、相変わらず手足に力が入らず、頭をブルンブルン振り回して悲鳴を上げている。
自分に何が起きたのか判らず、パニックになっているんだろうと思うと、かわいそうでかわいそうで涙が止まらなかった。

朝出掛ける時は元気だったのに・・・
何時からこんな状態だったの!?
こんな状態で何時間私達の帰りを待ってたの!?
外食なんてしないで早く帰って来れば良かった!!

考えれば考えるほど胸が締め付けられる。
騒ぎすぎて酸素を大量に吸ったせいか、気を失いそうなほど意識が薄くなっていた。

やっと病院に到着。早速診察室で診察を受ける。
耳、目、心臓など見て先生が、「キチンとした検査をしてみないと、確実な事は言えませんが、この状態からして、前庭疾患だと思われます。」と。

ぜ・・・・・ぜんてい・・しっかん??????????

先「前庭障害とも言いますが、原因としては、中耳の感染や、脳に腫瘍が出来ている等脳に何らかの障害があって起きる場合、季節の変わり目(特に夏の終わりから秋にかけて)に起こる等原因不明の特発性の場合があって、特発性の場合は症状が起きてから24時間以内にステロイドの注射をすれば症状が軽くなって、だいたい1ヵ月前後で元通りになりますが、脳に腫瘍や障害があって起きた場合は、24時間以内のステロイド注射である程度軽くはなりますが、後遺症が残り、首がどちらかに傾いたままで手足にも麻痺が残ります。脳に腫瘍や障害があるかどうかは、大学病院や専門の機関で麻酔をかけてMRIを撮らなければわかりません。どうしても詳しい検査をしたいという事であれば、大学病院を紹介する事もできますが、このままステロイド注射で様子を見て、後遺症も無く元通りに動けるようになったら、今回の原因は特発性だったという事になるので、しばらく様子を見る形がいいんじゃないかと思います。」

先生は丁寧に絵や言葉を紙に書きながら説明してくれた。

脳に腫瘍・・・
脳に障害・・・

もしもこの場合だったら・・・と思うと、本当に胸をえぐられる様な気分だった。

原因をハッキリさせたい。
正直な気持ちはそうだった。

でも大学病院に行って麻酔やMRIなんて・・これ以上みりに怖い思いをさせたくない。

とにかく特発性である事を願って、様子を見てあげるのが一番いいんだ・・

自分の中で結論が出たら、張りつめていたものが一気にブッッッツリ切れて、大号泣してしまった。

先生が「この病気は、飼い主さんが一番パニック起こす病気なんですよ。突然こんな状態になったら本当に驚くと思います。原因は何であれ、ステロイドの注射である程度症状は落ち着きますから、大丈夫ですよ」と言ってくれた。
なんだか、みりだけがこんな病気になり、自分だけが大パニック起こす大馬鹿飼い主のような気がしていたので、先生のその言葉は本当にありがたかった。

特に飲み薬等もないので、注射だけしてもらって、帰宅。

帰宅後、早速寝床作り。
今までは2階寝室のベッドの、私とぴゃんの枕の間にみりのベッドを置いていて、毎日3人川の字で寝ていた。
しかし、歩く事もままならないみりは、私たちのベッドに飛び乗る事なんてできるはずもない。
寝室の隣の部屋の壁側にみりのベッドを置き、その隣にトイレ、ごはん台を置いた。
みりがベッドから這い出て転んでも大丈夫なように、周りには布団を敷き詰めた。
ドアのキャットフラップにカバーをして出入りできないようにした。
私は、なんとか次の日の仕事をアシスタントにお願いして、その日の夜から次の日丸1日付きっきりで看病することにした。

次の日、首が傾いていて、歩こうとしても旋回してしまう状態だったが、眼振は徐々におさまって、缶詰をミキサーで液状にしたものを一生懸命ビッチャビッチャ音を立てながらたくさん飲んでくれた。
ぴゃんも全然仕事が手に付かないようで、頻繁にメールが来た。
みりが特製スープを飲んでる動画を送ってあげたら、少しは安心したようだった。

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発症4日目、みりは看病部屋で18歳の誕生日を迎える。

私達が恐れていた最悪の事態を基準に考えると、みりは驚異的に回復した。
特発性だった場合、通常2週間~6週間で回復するらしいので、最低でも2週間は安静にさせなければと思っていたのだが、2日目の夜には眼振がなくなり、1週間ぐらいでだいぶ動き回れるようになった。
そうなると、動きたくて動きたくて仕方ない様で、毎日毎日看病部屋から、

「だしてーーーーー!! ここからだしてーーーーーー!!!! だれかーーーーー!!!!
たすけてくださいーーーーー!!!! わたし、とじこめられてますーーーーーー!!!!」

‥と言わんばかりの絶叫。近所にも確実に聞こえてる・・・
ぎ・・ぎゃ・・虐待してると思われるよね(焦っ)
仕方がないので、少しずつ行動範囲を広げてあげる為の対策を考える。
まず一番危ないのが階段。
何かでふさいで降りられないようにしなければ・・
ペット用品であれこれ探してみてもどうにもいいのが見つからない。
しっかりした作りで、みりが押しても動かない物・・と考えたら、赤ちゃん用のゲートしかないかもしれない・・
どれにしようか悩んでいた何日間か、私が家に居る時は段ボールで階段をふさぎ、1階に連れて行って運動させたりしていたが、看病部屋に戻すと、また近所の方々に向けて虐待されてるアピールをし続ける。
早く決めなければ(焦っ)
結局アカチャン本舗で赤ちゃんゲートを購入。

7月10日(発症から13日目)階段の上下に赤ちゃんゲート設置。
※まだたまにヨロッっとするくせに、階段にチャレンジしたがり、↓この1枚目の写真を撮った直後、ゲートの隙間を無理やり通ろうとして首を突っ込み、にっちもさっちもいかなくなり、やっとこさ引っこ抜く‥という事件が起きた。そもそも赤ちゃんが通れなければいいものなので、猫が挟まるぐらいの隙間が開いてても文句は言えない。仕方なく段ボールで隙間をふさいだ。
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1階でごはんを食べる
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首の傾きも無くなり、自分でソファーに飛び乗って横座り
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ちょっとフラフラしながらも、ぴゃんをお出迎え
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7月12日(発症から15日目)私達のベッドに飛び乗り・飛び降りが出来るようになり、川の字復活!
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不安定なぴゃんの枕にもキチンと座り、ドS目覚まし。鬼嫁2号完全復活!
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発症から1ヵ月程で階段の昇り降りも出来るようになり、あれよあれよと言う間に回復した。
心配していた首の傾きも残らず、その他の後遺症もなかったが、しばらくは家中マットだらけだった。

やはり今回は特発性だったのだろうと、ホッと一安心。
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by miri-mama | 2009-09-08 21:39 | みり履歴書

みり履歴書~前庭障害再発編~2008年

2008年2月12日(みり18歳)

※この年の1月30日に、私は椎間板ヘルニアの手術をして、2月6日退院したばかりだった。
退院した直後から、どうしても出なければいけない仕事があって、(医者が止めるのも聞かず)自分で運転して、ヨタヨタしながら仕事場に行っていた。


その日は夕方に仕事が終わり、入院中のお礼等の用があったので近所に住む従姉妹の家に直行。

入院中の話などを散々して、20時頃家に帰ってみると、みりが私のベッドの掛け布団に寄り掛かって『ぎゃおー!ぎゃおー!』と鳴いている。

どうしてそんな所に寝んねしてるの??????????

いつも寝てるみりのベッドを見ると、ゲーとちっちとうんちが!!!!!!!!!!


えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!


みりに近づいて良く見てみると、また黒目が左右に揺れてる!!!!


ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

また前庭障害だ!!!!!!!!!

自分のベッドで寝ている時に再発して動けなくなり、そのままゲー・ちっち・うんちをしてしまったらしい‥
それで無理矢理ベッドから這い出て、掛け布団に横たわったんだろう‥

ぴゃんは飲み会でまだ帰って来ない。
とにかく病院に電話しなければ!!

慣れた先生の方がなんとなく安心なような気がして、しばらく遠い病院(車で40分~50分)に通っていた為、近所での病院探しはまだしていなかった。
いつもの病院に電話すると、留守電。
とりあえず吹き込む。

その後、従姉妹に電話。
従姉妹は、十数年この近辺に住んでるから、病院を知ってるかもしれない。

夜間診療してくれる病院をすぐに調べてくれて電話をくれた。
すぐその病院に電話してみると、診療時間外だったが留守電ではなくスタッフの方が出て対応してくれた。
今から連れて来て下さいとのこと。
家から車で15分ぐらいの病院だった。

頭をブルンブルン振り回してるみりをプラスチック製のキャリーケースに入れるのは、危ないかもしれない‥出来れば抱っこして連れて行きたい。

すぐまた従姉妹に電話して、迎えに来てもらう事にした。

従姉妹を待ってる間に、いつも通ってた病院の院長先生から折り返しの連絡が‥。

とっさに『再発だと思うので、24時間以内にステロイド注射すれば大丈夫ですよね?焦ってしまったのですが、夕方ぐらいに再発したと思うので、明日の午前中に連れて行くかどうか・・・・・行くとしたらまた連絡します!お騒がせしてすみません!』と言って切ってしまった。
なんだか申し訳なかったが、仕方ない(涙)

従姉妹とその娘が迎えに来てくれて、抱っこしながら病院へ。
(※結局この病院に転院。現在もお世話になっている。)

M先生という先生が診てくれた。
(※この先生が現在の主治医。)

前回の前庭障害の件も細かく伝えた。
やはり、M先生の見解も前先生と同じで、ステロイド注射で様子を見るべきとの事。

前回より発見が早かったのか、症状が少し軽いような気がしていたし、2度目だった事もあって、前回より私自身は冷静だった。
前回、約1週間で回復していたので、今回も特発性で、すぐに回復するんじゃないかと思っていた。

‥が、先生から、やはり2度目という事になると、脳に何らかの問題があって再発した可能性も高くなると言われ、ハッとしてしまった。

そうだった‥
今回も特発性とは限らないんだ‥
前回は脳の障害が軽く、回復が早かっただけかもしれない‥
今回はその障害が重くなって発症した可能性だってあるんだ‥

楽観視していた自分に腹が立って、涙が出て来た。
例え回復が早かろうが、今現在みりがつらい事に変わりはないのに!!
ほんとに私は馬鹿だ!!

入院して何日も帰って来ない私を探して、毎日鳴いていたみり‥
それなのに退院してもそばに居てあげないでフラフラ出歩いていた‥
ほんとに最低だ‥

今夜からは一緒にリハビリしようね。
ごめんね‥

とりあえずステロイドの注射をしてもらい、眼振や旋回がおさまって来たら、一度こちらの病院で出来る検査を全部してみましょうという事になり、帰宅。

再び看病部屋作り。
アシスタントにも事情を話し、次の日からしばらく休む事にして、みりと自宅療養開始。
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食欲だけはすごくて、こんな猛獣のような形相でごはんの要求。
(この頃すでに甲状腺に異常があったと思われる)
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2度目は、1度目同様眼振は次の日におさまったものの、首の傾きと旋回はなかなか良くならなかった。
明らかに回復のスピードが遅い。
日に日に不安がつのる。

しばらくの間、昼間は私が添い寝、夜はぴゃんが添い寝していた。

3月2日(発症から18日目)、血液検査と心臓の検査の為病院へ。
この時点でまだ首の傾きが残っていて、少しの旋回とふらつきもあった。
5日後の3月7日の昼過ぎに預けて詳しい検査をする事になった。

※その3月7日に、甲状腺機能亢進症と慢性腎不全が発覚する。
その件は、別でまとめようと思う。


3月13日(発症から29日目) まだ首が傾いている‥
c0201113_22133639.jpg




その後、徐々に首の傾きと旋回は良くなったが、ふらつきは残ってしまった。
階段も昇る事は出来ても、降りる事は出来なくなってしまった。

私の腰の状態もだいぶ良くなり、徐々に仕事を再開した。
しかし、仕事をしててもみりの事が心配で心配で気が狂いそうになり、
3月20日みりカメラを設置。

カメラを覗くとだいたいこんなアングルで見える。
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5月、傾きも旋回もなくなり、2階は自由に動き回る。
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前回のように、すぐに川の字寝が復活する事は無く、寝る時は看病部屋。
7月1日、みりは看病部屋で19歳の誕生日を迎えた。
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それから10月まで、みりとぴゃんは看病部屋で一緒に寝起きしていた。
看病部屋で毎朝ドS目覚まし。
c0201113_22242383.jpg




しかし、10月になって朝晩が寒くなって来たら、みりは毎朝看病部屋でぴゃんを叩き起こし、ぴゃんがお風呂に行ったのを確認すると、寝室の私のベッドに飛び乗って、もぞもぞと布団に潜り込み、私の腕枕で二度寝するようになった。
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最初ぴゃんは、2Fに戻ると看病部屋にみりがいないので大騒ぎして探していた。
私の布団に潜り込んでいるのを知って、かなり凹んだもよう(笑)
それからは毎日みりが潜り込んでいるのを確認して、どんよりしながら出勤していた。
だいぶ寒くなって来たし、みりの冬用のベッドを私の枕の横に置いてみると、うれしそうにベッドにおさまった。
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ぴゃんはそのまま看病部屋で寝ててもよかったのに、ぴゃんまで寝室に戻って来て、約8ヵ月振りに川の字復活。


※振り返ってみると、甲状腺機能亢進症と思われる症状は1度目の前庭障害よりもだいぶ前から出ていた。
慢性腎不全と前庭障害の関係性はわからないが、私は甲状腺機能亢進症と前庭障害は関係があるような気がしてならない。
1度目の時に詳しい検査をしていれば、甲状腺機能亢進症はきっと発覚していたはず。
もしその時から、甲状腺の薬を飲んでいたら、2度目の前庭障害は無かっただろうと、確信に近い気持ちがある。
もし2度目が無かったら、ふらつきも残らず、今でも階段降りる事が出来ていたに違いない。
もっと早く甲状腺の異常に気付いていたら、欲しがるまま体に悪いごはんをあげ続ける事も無く、慢性腎不全の進行も遅らせる事が出来たかもしれない。

何を言っても今更‥
でも、この後悔はどうやっても消えない。

全て、病気の知識がゼロだった私の責任。


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by miri-mama | 2009-09-08 21:38 | みり履歴書

みり履歴書~甲状腺機能亢進症・慢性腎不全編~2008年

2008年3月7日(みり18歳) 甲状腺機能亢進症・慢性腎不全を宣告される。



みりは2006年頃から食欲が増して来た。
たくさん食べてくれるのがうれしくて、いろんなものをたくさん食べさせていた。

ドライ(サイエンスダイエットシニア)、金缶、焼きかつお、焼きイワシ‥おいしそうにガツガツ食べ、『たりなーい!』とお代わりをねだる時もあった。

そのわりには全然太らない。

1度目の前庭障害の時も、ごはんの要求はすごくて、たくさん食べてたらどんな病気も治ると思って、どんどん食べさせていた。

たくさん食べる事がサインの病気があるなんて、夢にも思ってなかった私は、
みぃちゃんはいいね~たくさん食べても太らなくて~♪‥ぐらいにしか思っていなかった。

※食べさせていた物は、どれもこれもタンパク質が豊富に含まれている物ばかり。
ドライ29%以上、缶詰18%以上、おやつ33%以上・・・今考えると、かなりゾッとする数字。

そんな状態が約1年半続いた。

2度目の前庭障害の時、転院先の先生にみりの様子を話すと、そんなに食べてるのに体重が増えないのは、甲状腺に異常があるかもしれないと言われ、初めて甲状腺機能亢進症という病気の存在を知った。

検査の末、2008年3月7日甲状腺機能亢進症・慢性腎不全を宣告された。
腎臓悪化の影響で、肝臓も悪化しているとのこと。

その時の数値。
【検査項目】正常値≪みりの数値≫
【T4】0.5~3.0≪5.2≫
【GOT】18~51≪79≫
【GPT】22~84≪251≫
【ALP】38~165≪257≫
【BUN】17.6~32.8≪52.2≫
【CRE】0.8~1.8≪2.0≫


一度壊れた腎臓は再生されない事も初めて知る。
ただ、食事療法で余命が2倍3倍延びる可能性があると。

その時先生が『例えば、この時点で余命1年と思われる場合でも、食事療法で2年3年に延びると言われています。』と言った。

その中の『余命1年』という言葉がすごく引っ掛かった。
ちゃんと先生は『例えば』と言ったし、みりの事を言ってるんじゃないのはわかっていた。
でも、先生が何気なく言った『余命1年』という言葉が、頭の中でずっとこだまのように響いた。
みりの事を言ったの?・・・みりが余命1年っていう事をストレートに言いづらいから例え話として言ったの?・・・先生の言う食事療法をみりが嫌がって、成功しなかった場合、みりは余命1年かそれ以下になるって事?・・・とぐるぐるぐるぐる考え始めたら止まらなくなってしまった。
好き嫌いも多く、わがままなみりが療法食を食べてくれる可能性は低い。
その時みりは18歳8ヵ月と6日‥余命1年としても20歳までは生きられないという事になる‥

いつかはそういう日が来ると頭ではわかっていたはず。
でも、気持ちが全く付いて行かない。
どうしてみりがいなくならなければならないの?
ひとりで旅立つなんて、みりはどんなに不安だろう‥
残される私達の生活はどうなってしまうの?

そんなモードに入ってしまうと、また後悔ネタを探し始めてしまう。
もっと早く気付いて検査していれば‥
あの時のあの鳴き方は、私達に何かを訴えていたのかも‥
どうしてもっと早く‥
どうして‥
どうして‥

自分を責めるネタはどんどんどんどん溢れて来る。

出来る限りの事をしてあげなければ!‥と思えるようになるまで何時間かかっただろう。
甲状腺の薬を毎日飲ませて、ドライフードも腎臓サポートに変えて、タンパク質の少ないごはんにネフガードという顆粒状の炭を混ぜて食べさせなければならない。
やる事はたくさんある。
しかも何もかも初めてづくし。
そしてこの先ずっと続けなければならない。
みりがちゃんと付き合ってくれるだろうか‥

不安だらけの闘病スタート。

ドライフードは、病院からサンプルをもらって来た物をいくつか試す。

甲状腺の数値がまだ高い影響もあって、とりあえず出された物は食べてしまう。
そのおかげで、心配してた食事療法も出だし快調。

それから私達は、ネフガードを混ぜる為の缶詰を探して、あちこち巡った。
タンパクの少ない物を探して来ては試す日々。
そんな中、かなりタンパクが少ない『ミャウミャウのたっぷりゼリーシリーズ』(タンパク6.0%~6.5%、80g)に巡り会い、次の血液検査までしばらくミャウミャウを食べさせる事にした。
それまで食べていた物に比べたら、明らかにおいしくない物なのに、私達の必死さを理解してくれているかのように、みりは頑張って食べてくれた。

次の血液検査で、甲状腺・腎臓共に数値が下がった。

その次の検査では、全て参考正常値範囲内まで下がった。

医者が言うように、食事療法で寿命が延ばせるかもしれないと、初めて希望が持てた。

<血液検査結果>
【検査項目】正常値≪2008.3.7≫⇒≪2008.3.20≫⇒≪2008.4.15≫
【T4】0.5~3.0≪5.2≫⇒≪1.2≫⇒≪検査なし≫
【GOT】18~51≪79≫⇒≪35≫⇒≪27≫
【GPT】22~84≪251≫⇒≪99≫⇒≪69≫
【ALP】38~165≪257≫⇒≪160≫⇒≪142≫
【BUN】17.6~32.8≪52.2≫⇒≪33.3≫⇒≪26.7≫
【CRE】0.8~1.8≪2.0≫⇒≪1.2≫⇒≪1.5≫

腎不全宣告から約1年4ヵ月後の2009年7月1日、みりは20歳になった。
宣告された時、みりは20歳を迎える事は出来ないんだ‥と勝手に思い込んだので、20歳の誕生日になった瞬間は、涙がこぼれた。
頑張ってくれてありがとう‥そばにいてくれてありがとう‥という気持ちでいっぱいだった。

※宣告から約1年半経った現在、徐々に療法食も好き嫌いするようになり、タンパクの少ない食べ物を探す日々は続いている。
時には大手ペットフードメーカーのお客様窓口のおじさまと一触即発の大騒ぎをしながら・・・
(この件はまたいずれ‥)

※現在の数値。
【検査項目】正常値≪2009.9.4の数値≫
【GOT】18~51≪31≫
【GPT】22~84≪102≫
【ALP】38~165≪100≫
【BUN】17.6~32.8≪36.9≫
【CRE】0.8~1.8≪2.1≫
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by miri-mama | 2009-09-08 21:37 | みり履歴書

みり履歴書~抜歯編~2008年

2008年11月22日(みり19歳) 抜歯

2005年の抜歯の後、残った歯に歯石が付かないように、たまに歯磨きをしてたが、いつからだったか‥(2007年の終わりごろからかな‥)みりがまた食後に歯が痛いしぐさをし始めるようになった。
口の中を見てみると、歯石というよりも、残った歯の歯茎が赤くなっている。
そのうち水を飲んでも痛がるようになってきた。

早いうちにまた抜歯したほうがいいのかな‥と考えていたところに、2008年3月7日甲状腺機能亢進と慢性腎不全が発覚。

甲状腺の手術をするか、抜歯をするか‥それともこのままそっとしておくか‥
先生とも何度も相談した。
どちらにしても、麻酔をかけると、確実に腎臓は悪化するので、先生も積極的には勧めないと。

とりあえず、前庭障害の回復が先だし、夏はただでさえ体力を奪われるから、手術or抜歯をするとしても涼しくなってから‥という事で、みりの体調を見ながら判断する事に。

ぴゃんとも何度も話をした。
甲状腺は、この先不安定になっても、薬の量を調節すれば、大丈夫かもしれない‥
でも、歯は‥‥おいしいはずのごはんもお水も、このままではみりにとってつらい物、痛い物になってしまう。
食べれない飲めない状態になったら、それはそれで命を縮めてしまうのでは?
それなら、麻酔をする事で例え命が短くなっても、最期までおいしくごはんを食べ、おいしくお水を飲んでほしい。
でも、その為にみりをすごい危険な目に遭わせるのは、私のエゴ‥??‥もしも麻酔から覚めずにそのままになってしまったら‥

‥と、3月から10月まで気持ちはグラグラ。

その間みりは尚一層痛がるようになっていた。

11月 やっと決断。
甲状腺の手術はせず、抜歯をしてもらう事にした。
結局、先生もぴゃんも乗り気ではなく、私だけが一大決心。

2月に転院した病院は、手術等する場合、
①手術室での立ち合い
②待合室での立ち合い
③預ける
の3パターンから選べるようになっている。(もしかしてそれが普通??前の病院は、預けるパターンしかなかった)
手術室での立ち合い‥最後まで悩んで、結局②の待合室から覗くパターンを選んだ。

11月22日、麻酔に必要な検査をする為、一旦預ける。
手術開始時刻に病院へ。

血液検査の結果、麻酔には耐えられるでしょうとのこと。
でも、麻酔をかけた後腎臓の数値が悪くなる事は覚悟していて下さいと、何度も言われた。

私は、みりがおいしそうにごはんを食べる姿だけを想像して、全て了承した。

手術が始まり、待合室で待つ私達。
手術室をチラチラ覗くと、みりの足が見えている。
向きを変えられたりしながら‥

がんばってみり!!
こんな目に遭わせてごめんね!!
でももうごはんの後の痛い痛いが無くなるからね!!
がんばって!!

私は、座ってる事も出来なかった。
ぴゃんに『座ってなよ』と何度言われた事か。
時間が経つにつれ、座って雑誌を読んでいるぴゃんにだんだん腹が立って来て、『こんな時によく座ってられるよね!?神経イカレてんじゃないの!?』と八つ当たり。
待合室は、私達以外誰も居ないので、思う存分ぶつぶつ文句言いまくり。(私が文句モードになると、ぴゃんは貝になるので、私がずっと独り言を言ってる状態)

やっとやっとやっと(長かった!)先生から呼ばれた。
無事3本抜きましたとのこと。
歯茎を切開して抜いたので、縫合した跡が痛々しいけど、しばらくすればきれいに治ると思いますのでと。
面会を許されたので、病室へ。

みりはエリザベスカラーをされ、手ってに点滴の針が刺さったまま横たわっていた。
まだ麻酔から覚め始めたばかりで、目は開いていたが焦点が定まらない感じ。
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みりー!
よくがんばったねー!
もう大丈夫だよ!
目が覚めてよかったね!

ぴゃんと二人でしばらく撫でまくり。

このまま連れて帰りたい。
でも、腎臓の為に1晩入院して点滴をしなければならない。
しばらくは、病室を出る事が出来ず、夕方からの診察開始時刻ギリギリまで側にいてあげたい気分だった。
でも、だんだん麻酔が覚めて動けるようになったら、私達と一緒に帰りたがって暴れてしまうかもしれない。
後ろ髪をガッツリ掴まれた状態で病室を出た。

その日は、30分置きぐらいに『みりどうしてるかな‥』とぶつぶつ‥
寝る時も、みりの居ないベッドを見ながらメソメソ‥
たかが1晩なのに、こんなにもつらいなんて‥
‥と、ぴゃんはグーグーいびきをかいて寝始めた。
『よくこんな時に寝れるよね!?やっぱり神経イカレてんじゃないの!?馬鹿なんじゃないの!?』
‥と、また昼間の繰り返し。
結局、爆睡してるぴゃんに向かって一通り文句を言って、やっと就寝。

次の日、朝一番で病院に電話。
『おしっこもちゃんと出来たし、缶詰のごはんもちゃんと食べましたよ!』と。

前回2005年抜歯で入院した時は眠る事も食べる事も出来なかったから、それだけが心配だった。
ごはん食べれたなんて、よかったぁぁぁ(ToT)

退院は14時の予定。
13時頃から落ち着かず、病院の周りを車でウロウロ‥

やっとやっとやっと(また長かった!!)、みりに会えた。

口の中を見ると、傷跡が痛々しい(;_;)
後日血液検査をする事にして、帰宅。

ホッとして爆睡
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またイタイことされたけど、みりはがんばったよ
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傷が治って来たら、ごはんの後に痛がる仕草はしなくなり、ホッと一安心。

その後の血液検査で、腎臓が悪化していない事が判明。
よかったぁぁぁぁぁぁぁぁ(T_T)

危険な賭けだったけど、決断して本当によかった(T_T)
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by miri-mama | 2009-09-08 21:36 | みり履歴書

みり履歴書~腎臓数値推移編~2008年3月~2009年10月

  日付    【BUN】  【CRE】
      (17.6~32.8)(0.8~1.8)(←参考基準値)
'08.03.07  《52.2》  《2.0》
'08.03.20  《33.3》  《1.2》
'08.04.14  《26.7》  《1.5》
'08.06.14  《32.8》  《1.9》
'08.08.08  《27.3》  《2.2》
'08.09.27  《33.9》  《2.7》
'08.11.17  《34.0》  《3.4》
'08.11.26  《35.5》  《3.4》
'08.12.13  《36.0》  《2.0》
'09.02.17  《31.5》  《1.8》
'09.05.16  《43.1》  《2.4》
'09.06.13  《33.7》  《2.4》
'09.08.08  《37.1》  《2.3》
'09.09.04  《36.9》  《2.1》
'09.10.05  《29.7》  《2.1》


慢性腎不全発覚から1年7ヵ月。
この数値との闘いだった。

無知な上に根暗な私は、視野が極端に狭く、他の猫さんはどうなんだろう‥とか、
誰かに相談してみようかな‥などとは思い付かず‥
とにかく見えているのはこの『参考基準値』のみ。
病院や検査機によって基準値が多少違う事も当然知らず、
みりの病院が提示した参考基準値だけが私とみりが目指すべきところで、
この基準値内でなければ、みりも私も失格

‥そう言われてるような気がしてどんどん追い込まれて行き、神経がささくれ、そのささくれがトゲトゲになって、尚一層数字だけに取り憑かれて行った。

何としてもタンパクの少ないごはんを食べさせて、基準値内に戻さなければ!!

でも、みりが私と同じ気持ちであるはずはなく、巨大迷路に迷い込んだかのように、どこに向かって行っても、壁! 壁! 壁!


みり食べない⇒んがぁ落ち込む⇒ぴゃん甘やかす(タンパク高めごはん)⇒みり食べる⇒数値上がる⇒んがぁキレる⇒スパルタごはん(低タンパクごはん)⇒みり渋々付き合う⇒数値下がる⇒スパルタごはん⇒みり飽きる⇒んがぁすさむ⇒ぴゃん甘やかす⇒みり喜ぶ⇒数値上がる⇒んがぁ激怒⇒超スパルタごはん(超低タンパクごはん)⇒みり嫌々付き合う⇒数値下がる⇒超スパルタごはん⇒みりハンスト⇒二人で甘やかす⇒みり爆食⇒んがぁ自己嫌悪・・・・・んがぁ自己嫌悪・・・・・んがぁ自己嫌悪・・・・・んがぁトゲトゲ・・・


この1年7ヵ月、ずっとこれの繰り返し。

今年の2月にやっと基準値内になって、みんなして気がゆるみ、みりの好き嫌いやわがままもピーク、甘やかしもピーク、5月に数値がドンと上がり、7月・8月辺りは私のトゲトゲピークで、その頃になってやっと「ネットでいろいろ調べてみようかな・・・」と思い付く。(←遅すぎ)

慢性腎不全は多くの老猫さんがかかる病気だという事、参考基準値は病院によって多少違う事、他の猫さん達の数値、療法食アレコレ、多くの飼い主さんが自宅輸液をされている事、みなさん病気の事を熟知されて看護に取り組まれている事・・・







(  °  _  °  ;)   そ・・・・・そうなんだ・・・・・






‥と、数々の衝撃を受けるとともに、必要基礎知識を初めて学ぶ。
みりの主治医は、他の猫さんの事をあまり引き合いに出さない方で、どちらかというと、歳が歳なので仕方のない事なんですよ、という言い回しのほうが多い。
それに、みりの病院は常に混んでいて、先生に根掘り葉掘り聞きたくても、待ってる方に申し訳ない感じで、あまりいろんな事を聞けなかった。
(‥というより、「何を聞いていいのかもわからなかった」が正しい言い方(-_-;))


ネットを通じて、他の飼い主さん達の気持ちに触れる事が出来て、


『もっとゆったりした気持ちで付き合っていかなければいけない病気なんだな・・・』


‥って、わかったような気も一瞬したのに、実際8月・9月もみりのごはん問題でまたトゲトゲ、大泣き、大喜び‥と、かなり右往左往(-"-)

これからも、この基準値を目指さなければならない現実に変わりはないけど、
せめてトゲトゲにならず、みりをゆったり見守れるようにならなければ(>_<)



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                  んがぁ いつもうるさい                    
   
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by miri-mama | 2009-09-08 21:35 | みり履歴書

みり履歴書~通院時オムツ着用編~2008年 ※追記あり

みりは、去年から病院に行くとおもらししてしまうようになった。
最初は、2008年9月27日の通院で看護師さんに採血してもらってる時。
看護師さんに抱っこされて戻って来たら、みりを包んでいたアヒルちゃん毛布が水色のバスタオルに変わっていて、『お注射してたらおもらししちゃったので、今毛布洗濯してます~』と言われた。

え・・・おもらし??????????
自分のトイレ以外でみりがおしっこするなんて‥
前庭障害発症直後、動けなくておもらしした事はあったが、それ以外では一度もなかったから、にわかには信じられなかった。
いつも病院から帰ると、ダダダダダーっとトイレに走って行くし‥溜まってても帰りの車でおもらしした事も無いし‥
今日は特別チクンが痛かったのかな‥ぐらいに思っていた。

それから次の次ぐらいの通院の時、今度は私に抱っこされてる時におもらし。
それはもう他の飼い主さんにも当然バレたわけで‥
なんだかすごくショックだった。
今日は大きな犬がずっと吠えてたから、怖かったのかも‥と自分を慰めた。

でも、次もまたやられた。
もうこれは他に理由があるのかも‥
昔に比べたら病院に連れてかれる回数が増えて、チクンも増えて、みりにしてみたらささやかな抵抗&嫌がらせのつもりなのかな‥
理由を探してるだけじゃらちあかないから、とりあえず次の通院からオムツ着用。
しかし、全然ダメだった。
みりは、通院の時は仰向けに抱っこするトントンスタイルなので(キャリーバッグに入れててもずっと絶叫している為)、オムツをしても、全部尻尾を通す穴からダダ漏れになってしまったのだ。
あぁぁぁ‥
オムツしてきたのに、私の服はビタビタ、床におしっこの海。
みり、どうしてなの!?
どうして毎回おもらしするの!?
ほんとに泣きたくなった。

次からオムツ試行錯誤が始まる。
尻尾を通す穴を違う所に開けてみる→尻尾を伝って、ツツツツツーポタポタと出てしまってダメ。
穴を開ける位置を微妙に変えてみる→どれもイマイチ漏れる。

次は、犬用のおしっこシーツを1/3に切り、まず尻尾(肛門)を中心に巻いて、背中側でセロテープで止める。(この時に尻尾とシートの間に隙間が開かないようにする)
その上にオムツを履かせる。
そしてその上にパンツを履かせる。(オムツ丸出しだとみりちゃんかわいそうなので)

これはかなり完璧!
仰向けや横向きに抱っこしてても漏れない!

‥というわけで、毎回この方法にしている。


病院の駐車場で順番待ちしてる激怒顔のみり。パンツちらり。
c0201113_23274658.jpg



統計的に、病院に行く日の朝起きてから病院に出発するまでの間におしっこが出ないと、必ずおもらしする事が判明。

出発前におしっこ出てたら、おもらししない。

家では必ずトイレでしてるのに‥
やはりささやかな抵抗&嫌がらせのつもりなのか、それとももう年齢的に我慢が出来なくなっただけなのか‥
午前中の通院をやめればいいのかな‥(ここ最近、基本的に通院は土曜日の午前中。)

でも、オムツも完璧になったし、大好きなトントンされながらしれ~っと出す秘密のちっちは、気持ち良くて、も~やみつき~♪♪♪‥なのかもしれないし。
いつも、バスタオルかアヒルちゃん毛布で包んでて、オムツしてるの誰も気付かないから、秘密のちっちしても全然大丈夫だからね。
みりはチクンがんばってくれてるし、んがぁは秘密のちっちするみりもかわいくて大好きだよ~♪

最近では、病院から帰って『どれどれ~』っと秘密のちっち確認するのが、一つの楽しみになっている(^_^;)

※追記‥2009年後半からは、通院前におしっこが出ていようがいまいが関係なく、秘密のちっちは必ずするようになってしまった。
しかも、出すタイミングはだんだん早くなってきている。

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by miri-mama | 2009-09-08 21:34 | みり履歴書

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みり数値

【腎臓】
  日付  《BUN》《CRE》
'08.03.07《52.2》《2.0》
'08.03.20《33.3》《1.2》
'08.04.14《26.7》《1.5》
'08.06.14《32.8》《1.9》
'08.08.08《27.3》《2.2》
'08.09.27《33.9》《2.7》
'08.11.17《34.0》《3.4》
'08.11.22《36.5》《3.1》
'08.11.26《35.5》《3.4》
'08.12.13《36.0》《2.0》
'09.02.17《31.5》《1.8》
'09.05.16《43.1》《2.4》
'09.06.13《33.7》《2.4》
'09.08.08《37.1》《2.3》
'09.09.04《36.9》《2.1》
'09.10.05《29.7》《2.1》
'09.11.14《33.8》《1.6》
'09.12.19《36.3》《1.8》
'10.02.20《37.4》《1.5》
'10.04.17《30.7》《1.7》
'10.05.29《38.6》《1.9》
'10.07.31《37.2》《2.5》
'10.10.16《35.2》《1.9》
'11.01.04《40.1》《2.1》

参考基準値
BUN 17.6~32.8
CRE 0.8~1.8


【甲状腺】
'08.03.07 《5.2》
'08.03.20 《1.2》
'08.08.09 《4.4》
'08.11.17 《0.4》
'09.05.17 《1.8》
'10.02.20 《3.6》
'10.04.17 《4.8》
'10.05.29 《3.0》
'10.07.31 《2.5》
'10.10.16 《5.8》
'11.01.04 《3.6》

参考基準値 0.9~3.8

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